人生を投影する究極の推し活!オリジナルキャラメイクが持つ魅力!(#推し #自分 #ファン)

なにこの夢の共演。
このままSUZURIとかにアップロードして、ポスターにできるでしょ。
市販されてる、他のどんな推しグッズよりも推し活になるわ。
今回はゲームにおけるキャラメイクについての、お話です。
キャラメイクできるゲームタイトル、いくつかありますが、やったことありますか?
そして、
キャラメイクの際、じっくり作り込むタイプですか?
自賛だけど、私は作り込むタイプだと思います。
そして、作った後はなかなか変えられなくなるタイプでもあります。
ちょっとでも変えると、「なんか違う」になりそうで、それ以上手を入れられ無くなるんですよね。
ある意味、それだけ最初に魂を込めて作り込んだという証拠なのかもしれません。
ひとつの遊びとして、自キャラをゲーム本来の画像と、
AIで加工した画像を例にしながら、
オリジナル推し活語りを綴っていきます。
人生にゲームあり、ゲームに「私」あり
人生にはゲームがある。
ノーゲーム ノーライフ
この言葉に深く頷く人は多いはずです。
もちろん、私たちには現実の生活があり、24時間をすべてゲームに捧げられるわけではありません。
だからこそ、限られた時間の中で飛び込むゲームの世界には、格別の価値を求めたいものです。
ゲームにおける「主役のあり方」には、大きく分けて2つの方向性があります。
-
1つは、あらかじめ用意された魅力的なキャラクターになりきる道。
ネームドキャラクターとしても有名ですし、
どうしてもFF7R騒動と時代を共にした世代でもあるから、彼らを例にします。
「ファイナルファンタジーVII」のクラウドやセフィロスのように、
その世界のために極限まで作り込まれた、「ネームドキャラクター」の人生を追体験する楽しさです。
ストーリーと完璧に噛み合った彼らのモデリングには、確かな没入感があります。 -
そしてもう1つが、今回の主役である「キャラメイク」という選択肢です。
ゲームの世界観に属しながらも、外見やアイデンティティは自分で構成する、
いわば「別世界からやってきたキャラクター」です。
キャラクターの背景にある「私のリアル」
キャラメイクで生まれるキャラクターは、ゲームの世界の住人でありながら、
同時に「別世界(現実)」からやってきたあなたの分身でもあります。
一見するとただのゲーム内パーツでモデルリングしたキャラクターです。
その外見や佇まいには、
プレイヤー自身がこれまでの人生で出会ってきた人、
見てきた景色、
学んだこと、
あるいは日々の仕事で培った経験など、
あらゆる要素が背景として溶け込んでいます。
そのため、面白い現象が起こります。
「自分が見ている自キャラ」と
「他人から見えているあなたのキャラ」では、
全く見え方が異なるのです。
そこには、本人にしか見えない「人生のフィルター」がかかっているからに他なりません。
不特定多数が見ている、ゲームに収録されている本編シナリオ。
それはそれとして、
さらに自分のオリジナル世界観も、視えるのではないでしょうか。

色を混ぜる:世界観のクロスオーバー
このフィルターには、ゲーム本編のシナリオを超えた、自分だけのオリジナルな世界観が視えてきます。
オブジェクトやフイールドの地形、建物ひとつをとっても、自分の価値観という色が混ざり合って見えてくるのです。
ゲーム内で相手してくれる、敵キャラクター。
私たちは、単に「そこにいるゴブリンが憎いから」倒しているわけではありません。
現実社会で見てきた、あのクソ野郎に置き換えて、
渾身の一撃を叩き込んでやりたいんですよ。
そのクソ野郎がデブだったら、ゲーム内の敵も肥満体質のキャラであれば、イメージしやすいですね。
だから攻撃力とかも強くして、全力でぶちのめす。
「くらえボケ」とするために。
「くらえボケ」を現実世界でやると、暴行事件です。
ゲーム内でやる、「くらえボケ」だから、いわば遊びであり、
現実の人物は誰1人痛い思いはしていないけど、プレイヤーは暴力を振るう快感が得られます。
私の敵は、敵にならない敵。ですかね?
ゲーム内の敵が、単なるデータではなく、自分の現実のストレスや因縁を昇華するための存在になる。
これもまた、現実とゲームが混合したオリジナル世界観の醍醐味です。
最初から作り込まなくても
元々キャラクターの自分設定、世界観があるプレイヤーは、いわれずとも作り込んでいます。
最初はありふれた普遍的なパーツで組んだ、オーソドックスなキャラにしたかもしれませんが、それはそれで十分です。
ゲームを進めながら少しずつ調整を重ねていくうちに、不思議と「自分」に似てくるものです。
いつの間にか、
「あれ?、これ私じゃない?」と錯覚するような瞬間が訪れます。
正常だから大丈夫ですよ。
そのうちにゲームをしながら、自キャラを主役とした小説やドラマシナリオが出来上がるくらい、妄想が捗ります。
SS撮影も自キャラシナリオの一場面を想像しながら、
AIも駆使していろいろなニュアンスの絵にすることもできます。

混合した世界観のなかで
ネームドキャラクターへの心酔、
あるいはそれ以上にファンとなれる、自分で構成するオリジナルキャラクター。
キャラメイクできるゲームの魅力をまとめてみました。
- 有名キャラと同じ地平に立てる
(ネームドキャラ達と肩を並べる)
クラウドやセフィロスといった伝説的なキャラクターたちも、開発段階では2案、3案とモデル変更を重ねて今の姿になっています。
あなたがこだわり抜いて作ったキャラメイクも、プロセスとしては彼らと全く同じ。
その世界の「唯一無二の主人公」としての立ち位置になるのです。 - 本人と性別は逆になりがち
(偏見含む)
キャラメイクあるある。
たとえば女性プレイヤーが、異性であるクラウドのような存在に魅力を感じた結果、自分がキャラメイクする際には理想の男性キャラを作る、といった現象です。
深層心理も含むような話だと思っています。 - ゲームに入った自分と手を取り合うカタルシス
(自分が2人いる?)
言語化が難しく感じますが、
自分の意識だけがゲームの世界観に深く入り込み、画面の中のキャラクターと自分が不思議な一体感で繋がる瞬間があります。
もう1人の自分と手を取り合って冒険しているような、奇妙で心地よいカタルシスがそこにはあります。
そのため、もしそのゲームタイトルを卒業、引退となるときには、
文字通り身を裂かれる葛藤を感じることも。 - その日の気分で着替えられる
(または一張羅)
キャラメイクできるゲームには、衣装の数も数点用意されているものです。
クローゼットの中から今日の服を選ぶ感覚で、度々着替えさせている人もいることでしょう。
海に水着、正月に着物は定番ですね。 - 捗る「SS撮影」
(スクリーンショット)
SS勢はどんなゲームでもだいたいそう。
「捗る」といっても、短時間で撮影がおわる。みたいな話ではなく、むしろその逆。
自慢のキャラクターができあがると、撮影の手が止まらなくなります。
1枚撮ると、「次はあの角度で」「次はあの光の当たり方で」と新しいアイデアが無限に湧き出し、気づけば何時間も経っている...そんな贅沢な底なし沼が待っています。
キャラメイクとは「現実の魂」を仮想世界に定着させる触媒である
キャラメイクの本質とは、単なる「アバター作り」ではありません。
それは、プレイヤーがこれまでに歩んできた「現実の人生(フィルター)」を、
ゲームという仮想世界にブレンドし、独自の物語を紡ぎ出すための触媒です。
ネームドキャラクターの物語を映画のように楽しむのが、「鑑賞としてのゲーム」であるなら、
キャラメイクは、「自分の人生の地続きにある、もう一つの可能性を生きるゲーム」と言えます。
現実のストレスをゲーム内の敵にぶつけて昇華するのも、
理想の姿をキャラクターに投影してもう1人の自分と手を取り合うのも、
すべてはあなたがこれまでに現実を懸命に生きてきたからこそ生まれる深みです。
ゲームを引退するときに引き裂かれるような寂しさを覚えるのは、そこにあなたの「魂の一部」を確かに置いてきたから。
それほどまでに深く没入できる世界を持てることは、
あなたと「あなた」の人生が色彩豊かなものとなっている証。
