「バズって拡散大注目!」:これを人力で目標とするには(#バズる #SNS #トレンド #ニーズ #流行)

スマートフォンを開けば、次々と流れてくる「バズった投稿」たち。
何万もの「GOOD」がついた写真や動画を見ながら、ふと思ったことはないでしょうか。
「自分はこんなに頑張っているのに、どうして誰も見てくれないんだろう」と。
現代を生きる私たちは、いつの間にか「注目されること」を価値のものさしにしてしまいがちです。
バズれば正解、バズらなければ失敗。
そんな空気の中で、静かに自分を責めている人は少なくありません。
けれど、本当にそうでしょうか。
才能があることと、バズることは、本当に同じことなのでしょうか。
この記事では、SNS社会に横たわる残酷な現実をひも解きながら、数字に振り回されない生き方について、いっしょに考えていきたいと思います。
才能があってもバズるとは限らない
「才能があればバズる(世間の注目を浴びる)」という考えは、現代のSNS社会において完全な幻想です。
どれほど優れた絵のセンス、歌のうまさ、あるいは誰も思いつかないような独創的なアイデアを持っていたとしても、
それがネット上で拡散され、何万もの「GOOD」を集められるかどうかは、まったく別のゲームなのです。
私たちはつい「上手な人が評価される」、「すごい作品が広まる」と信じてしまいます。
しかし現実はそう単純ではありません。
才能とバズの間には、現代特有の仕組みが横たわっています。
この記事では、その仕組みをいくつかの視点からひも解いていきます。
バズを支配するのは才能ではなくアルゴリズム
現代のネット空間で、コンテンツが広がるかどうかを決めているのは、人間の感性ではありません。
プラットフォーム(SNSなどのサービス)が作った「アルゴリズム(計算式)」です。
アルゴリズムは、次のような点を見ています。
-
視聴維持率(どれだけ長く見られたか)
- 投稿のタイミング(流行の波に乗っているか)
- 最初の数秒のフック(いかに見る人の手を止めさせるか)
- エンゲージメント率(コメントやシェアの数)
どれほど血のにじむような努力と、圧倒的な才能で作られた作品でも、
このアルゴリズムの基準から外れてしまえば、誰の画面にも表示されず、海の底に沈んでいきます。
逆に、大した技術も中身もないコンテンツが、一晩で数百万回再生されることもあります。
刺激的なタイトルやサムネイル、流行りの音源を組み合わせただけで、アルゴリズムの仕組みをうまく利用したからです。
つまり「バズる才能」とは、純粋な創作の才能ではありません。
システム(機械)に気に入られる才能に過ぎないのです。

大衆が求めるのは「凄さ」ではなく「共感」
バズの本質は、大勢の人が「誰かに教えたい」、「自分も一言言いたい」と思う流れの中にあります。
しかし、あまりにも次元が高すぎる才能や、複雑で洗練されすぎた表現は、スマートフォンを寝転びながらダラダラ眺めている大衆にとって、「理解するのに疲れるもの」になってしまいます。
SNSで爆発的に広がるのは、たいてい次のような要素を持ったものです。
-
突っ込みどころがある(完璧すぎない)
- 3秒で理解できる(脳に負担がかからない)
- 「あるある」と共感できる(身近である)
本物の才能というのは、往々にして孤独で、複雑で、簡単には言葉にできない性質を持っています。
だからこそ、「分かりやすさ」を正義とするSNSのフィルターを通したときに、かえってはじかれてしまうのです。
深いものほど広がりにくい、という皮肉な現実があります。
「何を出すか」より「誰が出すか」
SNSのタイムラインでは、コンテンツの質そのものよりも、「すでに影響力を持っている人の発言」のほうが、圧倒的にバズりやすいという構造があります。
名もない天才が命を削って生み出した最高のイラストには「GOOD 3」しかつかないのに、
フォロワーが何百万人もいる有名人が、スマホで適当に撮った飼い猫の写真には「GOOD 10万」がつく。
これがSNSの日常です。
「才能があるからバズる」のではありません。
「すでにバズっている人が出せば、何でも才能に見える」という、主客が逆転した現象が平気で起こります。
これがこのSNS社会の傾向として、あなたも見てきたことであり、心当たりはあるはずです。
つまり、スタート地点からして平等ではないということです。
この事実を知っておくだけでも、無用に自分を責めずにすみます。

私が経験した小さな「バズ」
バズる現象について、私にも身に覚えがないわけではありません。
あるゲームタイトルの特設サイトで、私のスクリーンショットをピックアップ(選んで紹介)してもらったことがありました。
いつもは画像をアップしても、「GOOD」の数は5前後。
ところが、そのときピックアップされた1枚だけは、「GOOD」が100まで伸びたのです。
気持ちとしては、単純にビックリしましたね。
なぜこの1枚がバズったのか。
もちろん私が投稿したからでもありますが、いちばんの理由は、たまたま特設サイトの運営に選んでもらえたからです。
投稿した行動という手順、
それを見つけた他者がピックアップした。
その界隈において、他者とは影響力のある者だった。
投稿した1枚がバズったという現象が起きた。
「投稿したという手順」と、「バズったという現象」は、別の事象です。
この場合の「他者」は、特設サイトの運営でした。
そのゲームサイトのユーザー数は、だいたい1000人ほど。
その中で運営の目に止まっただけで、「GOOD」が5から100まで伸びたわけです。
では、SNSのユーザー数はどうでしょうか。
数えきれないほど膨大です。
その中からピックアップしてもらえれば、大きくバズることになるでしょう。
しかしゲームサイト内で運営の目に止まるのと、SNS規模でバズるのとは、まったく話が違います。
そのタイミングを目標としたところで、果たして現実的に訪れるのでしょうか。
バズりたい気持ちの良い面と悪い面
「バズりたい」と思うこと自体は、悪いことではありません。その気持ちには良い面もあります。
バズりたい心理の良いところ
-
作品をもっと多くの人に届けたいという意欲になる
- より良いものを作ろうと努力するきっかけになる
- 他人からの反応が、自分の成長の目安になる
- 同じ趣味や価値観を持つ仲間と出会える
バズりたい心理の悪いところ
-
数字(GOODの数)ばかりを気にしてしまう
- 反応が少ないと自分を否定してしまう
- 本当に作りたいものより、ウケるものを優先してしまう
- 他人と比べて落ち込みやすくなる
この良い面と悪い面のバランスをどう取るかが、SNSと付き合ううえで大切になってきます。
「バズらない=才能がない」という呪いから自由になる
もしあなたが、何か素晴らしい性質や技術を持ちながら、「まったくネットで伸びない」、「誰にも見向きもされない」と悩んでいるなら、どうかそのナイフを自分に向けないでください。
バズる・バズらないの境界線にあるのは、才能の優劣ではありません。
ただの「ネットの文脈との相性」です。
バズの正体とは、一時的な流行の風が、たまたまそこに吹いた、というだけの気まぐれな現象です。
風が吹かなかったからといって、あなたの内側にある才能の価値が、1ミリでも減るわけではありません。
社会のタイムラインに消費されることなく、誰にも見つからない場所で静かに輝き続けている才能こそが、
この世界を裏側から深く支えているのです。
バズという派手な現象だけが、価値のすべてではありません。

バズは生きるうえで必要ではない
結局のところ、人が生活するうえで、バズることは別に必要ではありません。
普段どおりの生活をする幸せは、気づかないほど自然に、そこにあります。
スーパーで献立を考えながらウロウロしたり、
ゲームでアハハとふざけたり、
ゆっくり眠りについたり。
そうした日常は、きっとバズることとは関係がありません。
考えてみてください。
あなたが最後に「幸せだな」と感じた瞬間は、いったいどんなときだったでしょうか。
それはきっと、何万もの「GOOD」がついた瞬間ではなかったはずです。
あたたかいお風呂に入ったとき、
好きな人と笑い合ったとき、
疲れた体でふとんに倒れ込んだとき。
そんな、誰にも見られていない小さな時間の中にこそ、本当の幸せは隠れています。
SNSの世界では、数字がその人の価値を決めているように見えます。
けれど、それはあくまで「画面の中だけの話」です。
あなたが今日ていねいに作ったごはんは、「GOOD」が0でもおいしい。
あなたが描いた1枚の絵は、誰にも見られなくても、確かにこの世界に存在しています。
数字は、あなたの人生のほんの一部でしかありません。
バズることばかりを追いかけていると、心はいつまでも満たされません。
もっと、もっとと、終わりのない競争に巻き込まれてしまいます。
だからこそ、ときにはスマートフォンを置いて、
目の前のごはんをよく味わったり、空を見上げてみたり、大切な人とゆっくり話したりする時間を持ってほしいのです。
「GOOD」の数が増えなくても、明日はまたやってきます。
おいしいご飯を食べて、
好きなことをして、
静かに眠る。
その繰り返しの中にこそ、本当の豊かさがあるのかもしれません。
バズを追いかけるのもいいですが、それに振り回されて、目の前にある小さな幸せを見失わないようにしたいものです。
あなたの才能も、あなたの毎日も、数字では測れない価値を持っているのですから。
そして、たとえ今は誰にも気づかれていなくても、あなたが積み重ねてきたものは、決して無駄にはなりません。
静かに輝き続ける光は、いつか必要としてくれる誰かに、きっと届く日が来ます。
焦らず、比べず、あなたはあなたのペースで、あなたの人生を大切に生きていってください。
それが何より尊いことなのです。