仕事の定義:タイムライン(#時間 #仕事 #シフト #タイムライン)

消費され続ける時間

24時間x365日=8760

12時間x365日=4380

8時間x365日=2920

7睡眠x365日=2555

8760ー6935=1825
1年の時間から、仕事と睡眠の時間を引くと、1年で、1825時間

1825÷365日=5
私生活している時間は、1日で、約5時間

なんの数字か、わかりますよね。

人生とは、仕事のためのものなのか?

私たちは毎日、朝起きると当たり前のように準備をして職場へ向かったり、パソコンを開いたりします。
そして夜になると、疲れ果てて眠りにつきます。

そんな日々を繰り返していると、
ふと頭をよぎる疑問があります。

「人生とは、仕事なのか?」

この問いに対して、自信を持って「違う」と言い切れる人は、今の世の中にどれくらいいるでしょうか。

多くの人にとって、生きることと働くことは、まるでセットのようになっています。

学校を卒業したら就職し、定年を迎えるまで働き続ける。
それが社会として普通であり、
正しい生き方だと思い込んでいるところもあります。

考えてもみてください。

私たちは、働くために生まれてきたのでしょうか。
それとも、生きるために働いているのでしょうか。

この2つの違いは、とても大きいです。
もしも働くために生きているのだとしたら、私たちの人生は仕事に支配されていることになります。

現実を見渡してみると、自分の意志とは関係なく、
生活の大部分が仕事を中心に回っていることに気づかされます。

朝の目覚まし時計の音から、夜の過ごし方に至るまで、
すべては「明日、遅刻せずにしっかり働くため」のスケジュールになってはいないでしょうか。

このような状態が続くと、心が少しずつ削られていくのは当然のことです。

人生の目的が何であるかは、人それぞれ違います。

家族と過ごす時間、
趣味に没頭する瞬間、
あるいはただのんびりと空を眺めること、
そうした大切なものがたくさんあるはずなのに。

なぜか私たちは仕事に一番多くのエネルギーを注いでしまっています。

この不思議な現象について、まずは時間の面から具体的に迫ってみましょう。

人生における、仕事の時間配分は驚くほど大きい

時間の多くは仕事に消える

私たちが思っている以上に、人生における仕事の時間配分は大きいです。

これは事実として、私たちの生活に関係しています。

「人生は一度きりなのだから、自分の好きなことをする時間もたっぷりあるはずだ」

多くの人はそう思いたいかもしれません。
「1日は24時間もあるのだから、仕事以外の時間もそれなりに残っているはずだ」と考えがちです。

しかし、現実はどうでしょうか。

私たちは自分が思っている以上に、
人生の膨大な時間を「仕事」という枠組みに差し出しています。

これは単なる感情論ではなく、
私たちの生活に突きつけられた客観的な事実です。

1日を振り返ってみたとき、
自分が本当に自由に使える「自分のための時間」は、一体どれだけ残されているでしょうか。
一度、時計の針を動かして正確に計算してみましょう。

フルタイム勤務

一般的に「フルタイム」と呼ばれる働き方を例に考えてみます。
契約上の所定労働時間が「8時間」だったとしましょう。

数字だけを見れば「24時間のうちの8時間」、
つまり1日のちょうど3分の1です。
これなら残り16時間もあり、
十分なプライベート時間が確保できそうに思えます。

しかし、その「8時間」は本当に8時間だけで収まっているでしょうか?

実際には、仕事をするために不可欠な「付随時間」が存在します。

●ー会社に行くための身支度の時間
●ー毎朝夕の満員電車や渋滞に耐える通勤時間
●ー自由に外出・移動できない昼休憩時間
●ー突発的・日常的に発生する残業時間

これらをすべて合わせると、
実質的に仕事のために奪われている時間は、1日の中で12時間にもなってしまうのです。

つまり、起きている時間のほぼ大半、
1日のちょうど半分が「仕事」という枠組みの中に消えていくことになります。

ハーフタイム勤務

では、働く時間を短くして、
半日の4時間勤務にしたらどうでしょうか。

「それなら、働く時間を短くして、半日の4時間勤務にすれば解決するのでは?」

そう期待するかもしれません。
確かに労働時間そのものは半分になります。

勤務時間を4時間に減らしたとしても、
仕事へ行くための身支度や、
往復の通勤時間が消えてなくなるわけではありません。

結局のところ、会社のために家を出てから帰宅するまでの、
「実質的な拘束時間」は、7時間程度になってしまいます。

このように、どのような働き方であっても、
「勤務時間 + プラスアルファの拘束時間」というコストが必ず発生します。

私たちは文字通りの労働時間だけでなく、
働く環境を維持するための多大な時間を支払っているのです。

その結果、私たちの人生における時間配分の中で、仕事が占める割合は圧倒的なものになっていきます。
働くために付随する多くの時間を支払っています。

「忙しい私」が映るニュース

テレビのトレンドニュースなどで、慌ただしく駅を行き交う通勤風景が映し出されることがあります。

しかし、まさにその画面の中にいるような「忙しい当事者たち」は、
自分たちが映っているニュースを見る時間すらありません。
朝から晩まで時間に追われ、立ち止まる余裕すらないからです。

もし、画面のこちら側から「忙しさに追われる自分」を客観的に観察できたとしたら、
あなたは何を思うでしょうか?

●ー「自分の人生の目的は、本当にここにあるのだろうか?」

●ー「こんなことに、大切な時間と命を使い切っていていいのだろうか?」

ふと立ち止まったとき、
胸の中に「そんなことしてる場合じゃないかもしれない」という強い違和感が湧き上がってくるのではないでしょうか。

仕事が奪う「実質拘束時間」の計算式

労働時間がどのように膨れ上がり、
自分の時間を圧迫しているのかを可視化するための「時間の計算式」です。

フルタイム勤務(8時間労働)の計算式

実質拘束時間
労働時間(8h)+準備(1h)+往復通勤(2h)+休憩(1h)=12時間

  • 労働時間(8時間)

    契約上の標準的な勤務時間。

  • 朝の準備(1時間)

    服装を整え、身支度をし、出勤できる状態を作る時間。

  • 往復通勤(2時間)

    満員電車や渋滞など、自由な行動が極めて制限される時間。

  • 休憩時間(1時間)

    職場から遠く離れられず、実質的に束縛されている時間。

  • 【結果】

    1日(24時間)の半分である12時間が仕事のために費やされます。
    睡眠時間を7時間とすると、
    自由な時間は1日のうちわずか5時間しか残りません。

ハーフタイム勤務(4時間労働)の計算式

実質拘束時間
労働時間(4h)+準備(1h)+往復通勤(2h)=6時間

  • 労働時間(4時間)

    契約上の短時間勤務。

  • 朝の準備(1時間)

    短時間勤務であっても必要な身支度。

  • 往復通勤(2時間)

    移動にかかる固定の往復時間。

    (フルタイム)
    (ハーフタイム)
    どちらであれ、身支度や通勤時間は同じく消費されます。

  • 【結果】

    労働時間を半分(4時間)に減らしても、拘束時間は7時間となります。
    固定でかかる「移動や準備のコスト」があるため、
    労働時間を減らした割合ほど自由時間は増えないという構造が分かります。

時間に振り回されない人生へ

日々の忙しさに流されていると、「時間を支払っている」という感覚は薄れていきます。

計算式が示す通り、私たちは生きている時間の大半を仕事に投資しています。

人生という限られた時間の中で、自分が何を最優先したいのか。
一度立ち止まって時間の使い方と働き方を見つめ直すことが、自分の人生を取り戻す第一歩となります。

削り取られた1日の自分の時間と、その1年間の現実

余白の時間も必要

私たちが1年の中で「自分のためだけに使える時間」は驚くほど少なく、
その結果、
自分の人生をじっくり振り返り整えるための、「思考の余白」すら奪われています。

それでは、この12時間や7時間という大きな塊を引いた、1日の自分の時間は一体どれくらい残るのでしょうか。

1日24時間の中から仕事の拘束時間・睡眠時間・不可欠な生活維持時間を差し引いていきましょう。
皆が毎日消耗している時間メニューです。

人間の体はロボットではないため、健康を維持するための睡眠時間を削るわけにはいきません。
また、
入浴や食事、家事といった生活を営むための基本的な時間も必須です。
さらに、
残されたわずかな時間も「1日中働いて疲弊した状態」で迎えるため、
ここに、
心身を冷静に整えるような深い思考に使うことが難しくなってしまいます。

1日と1年間で削られていく「自由時間」の計算式

フルタイム勤務(実質12時間拘束)の人が、
健康的な生活(睡眠7時間・生活3時間)を送った場合、
1日と1年間で自由に使える時間は以下の計算で導き出されます。

【1日単位】残された純粋な自由時間の計算式

1日の自由時間
24時間−(仕事の拘束(12h)+睡眠(7h)+生活維持(3h))=2時間

  • 仕事の拘束(12時間)

    労働8時間に加え、準備・通勤・休憩・残業を含む時間。

  • 睡眠時間(7時間)

    人間が健康的に生きるための睡眠。ときには二度寝など、長時間の休養となる時間も加算。

  • 生活維持時間(3時間)

    食事、風呂、部屋の片付け、
    身の回りの雑務を行う最小限の時間。

  • 【1日の結果】

    手元に残る自由時間はわずか、「2時間」です。

    しかも、その2時間は「仕事で疲れ果てた状態」で迎える2時間であり、
    テレビを1番組見たりスマートフォンを少し触ったりするだけで、あっという間に消え去ってしまいます。

【1年間単位】平日に積み重なる自由時間と仕事時間の計算式

年間出勤日数を約260日(週休2日)として、
1年間の平日に得られる「自分の時間」と「仕事に捧げる時間」を比較してみます。

年間平日の自由時間
2時間×260日=520時間(約21.6日)

年間平日の仕事拘束時間
12時間×260日=3,120時間(130日)

  • 年間平日の自由時間(520時間)

    日付に換算すると、わずか約21日分。

    1年間一生懸命働いても、
    平日に自分のために使える時間は1ヶ月分すらありません。

  • 年間平日の仕事拘束時間(3,120時間)

    日付に換算すると丸々130日分(約4.3ヶ月分)。

  • 【1年の結果】

    休日の時間を考慮に入れたとしても、
    人生のあまりにも大きな割合が「仕事という巨大なブラックホール」に吸い込まれていることが分かります。

時間の欠如が引き起こす「思考の余裕」の喪失

時間が削り取られることの本当の怖さは、単に「趣味や娯楽を楽しむ時間が減る」ことだけではありません。
最も恐ろしいのは、「自分自身を省みる心の余裕」そのものが人生から完全に消え去ってしまうことにあります。

日々の忙しさに忙殺されると、私たちの思考力や自己対話の能力は次のように削り取られていきます。

  • 自分を省みる余裕(振り返って考える時間)の欠如

    今日という1日がどうだったのか、自分の感情や行動を静かに振り返る時間が奪われます。

    立ち止まって過去を省みる余裕がないため、
    同じ失敗を繰り返したり、
    モヤモヤとした不満を抱えたまま明日を迎えることになります。

    自分の現在地を確認するインスペクション(点検)の時間が取れない状態です。

  • じっくり考える時間が持てない(本質的な問いの無視)

    毎日の目の前の業務、家事、雑務をこなすことだけにエネルギーを使い果たしてしまいます。

    その結果、
    「自分は本当はどんなキャリアを築きたいのか」
    「これからどう生きたいのか」といった、
    人生の根幹に関わる重要な問いを後回しになり続けます。

    気づけば流されるまま年月だけが過ぎ去ってしまいます。

  • 反省と改善のサイクルが止まる(人生の軌道修正の不可)

    自分の行動や生活習慣に問題があると分かっていても、それを修正する暇がありません。

    疲弊している状態であり、
    「計画を立てる時間」も「思考する体力」も残りません。

    現状を良くするための工夫や学習といった、
    「改善のサイクル(PDCA)」が完全にストップし、
    望ましくない状況から抜け出せない悪循環に陥ります。

  • 自問自答して心を整えられない(メンタル回復の機会喪失)

    疲労困憊の状態で迎える夜のわずかな時間では、
    仕事で傷ついた心やストレスをリセットすることができません。

    じっくりと自問自答して、
    ネガティブな感情を整理したり、
    乱れた生活リズムを静かに整えたりする余裕が生まれません。

    疲労感や精神的な負担がそのまま翌日へと持ち越されていきます。

  • 急いでいる社会の再生産(現代社会の悪循環)

    私たちが生きている現代の「常に何かに追われている社会」は、
    どこかの誰かが作ったものではありません。

    時間と心に余裕をなくした私たち一人ひとりが、
    焦りや効率主義に背中を押されながら日々の業務を回し続けてきました。

    自らの手で生み出し、
    さらに加速させてしまっている現実があります。

時間圧縮と生まれた余裕の確認

テクノロジーの向上は、良い影響もあります。

一方で、
8時間が4時間になる便利さとともに、時間そのものもまた、忙しく加速されがちです。

私たちは「自分の時間が圧倒的に足りていない」という現実に気づき、意識的に時間の使い方や働き方を見直す必要があります。

自分の人生を生きているつもりでいながら、実はその大半を仕事の中に埋没させてしまっています。
時間に追われ、
振り返る余裕すら失ったまま走り続けるのか。
それとも、
立ち止まって自問自答する時間を確保し、自分の人生の主導権を取り戻すのか。

この「削られた時間の現実」を直視することこそが、
豊かな人生を再構築するための最初の一歩となります。

タイムライン

生活における時間と、仕事に充てる時間において、
ここまでのタイムラインをまとめてみます。

1日24
仕事フルタイム(通勤含む)ー8(ー12)
睡眠ー7
食事または家事ー3
残り時間6(2)

毎日の時間って、こんなに短いの?
これではゲームする時間も、全然足りない。

なにより、

たかが仕事ごときが、
本当の私生活よりも多くの時間を取られていることに納得できない。

テクノロジーの向上により、8時間が4時間などとなり、短時間、効率的、便利になっているのでしょう。
であれば、
これまでのフルタイム勤務もまた、8時間、6時間、4時間と短縮できるはずです。

フルタイム勤務といえば、4時間。
残りの時間は、自分自身のために。
これからの社会は、そういう時間感覚となっていきます。

タイムライン10000

10000時間――
それは、ひとつの物事を極める「エキスパートの証」であり、
ゲームプレイヤーにとってはもはや「人生のもう一つの本籍地」を意味する大台です。

24時間ゲームし続ける

「今プレイしているゲームのプレイ時間って、どれくらい?」

プレイヤー同士でよく交わされるこの会話。
300時間なら「おっ、かなり遊んでるね!」、
1000時間にもなれば「立派なやり込みプレイヤーだな……!」と一目置かれる世界です。

では、そのさらに10倍。
「10,000時間」となると、一体どういう世界が見えてくるのでしょうか?
ちょっと現実の数字で計算してみましょう。

ゲーマーの狂気?:10,000時間という数字の正体

10000時間という時間を、シンプルに「日数」に換算してみます。

  • 10000時間
  • 1日24時間
  • 総日数=416日16時間

不眠不休、
ご飯もトイレも画面の前で済ませて、365日24時間ゲームを遊び続けても、
まだ、...。
1年では足りません。

どこかのMMO(大規模多人数同時参加型オンラインゲーム)の街角には、
本当にこの領域に足を踏み入れている猛者(プロゲーマー、あるいは住人)が稀に実在します。

「でも、さすがに24時間連続プレイは人間として不可能でしょ?」

そうですよね。
では、
我々にも馴染み深い「フルタイム勤務(1日8時間・週休2日)」のペースに換算してみたらどうなるでしょう?

労働に換算する「10000時間ゲーム生活」の計算式

年間出勤日数を約260日(週5日勤務)とし、
1日の勤務時間を8時間と仮定して計算してみます。

8時間勤務と単純計算した場合、
10000時間というと、1250日。
週休2日とは、1年で52週であり、260日。

8時間x260日=2080

年間の「フルタイム労働時間」の計算式

●ー8時間

●ー260日

●ー2080時間

仕事に費やす時間
私たちが1年間、一生懸命働いて捧げる時間が2,080時間です。

10000時間に達するまでの「勤続年数」の計算式

●ー10000時間

●ー1年で、2080時間

●ー10000÷2080=4.8(以下小数点)

●ー約5年

まるで会社でフルタイム勤務するかのように、
「平日は毎日8時間、きっちり定時までゲームを遊ぶ」という生活を、
約5年間(約4.8年)続けて、
ようやく到達するのが、
「10000時間」です。

「仕事」か「第二の人生」か

会社で5年働けば、新入社員も立派な中堅社員になり、後輩の指導を任される頃合いです。

つまり、
プレイ時間10000時間のプレイヤーとは、
言ってみれば「そのゲームの勤続5年目のベテラン社員」のようなもの。

もはや「趣味で遊んでいる」というより、「もう一つの世界に出社している」と表現したほうが正しいのかもしれません。

ギルドマスター(ニート)
「〇〇氏、今週の大型アップデートの進捗はどう?」

プレイヤー(社長)
「まだ以前のここのメインストーリーです」
「ギルドクエストもできないけど、のんびりいきましょう」

ギルドマスター(ニート)
「遅せーなあいつ、仕事もしねぇし、社長除名するか」

...そんなやり取りが聞こえてきそうです。

現実世界で「12時間の拘束時間」に追われ、
「自分の時間が年間520時間しかない...」と頭を抱えている横で、
仮想世界に10,000時間を投資している人々がいる。

人生の時間を何に注ぎ込むか。
ゲームのプレイ時間「10000時間」という数字は、笑ってしまうと同時に、
人間の情熱(と狂気)の凄まじさを教えてくれる最高のネタなのです。

仕事がつまらないと感じる8つの理由

長大な時間を捧げている仕事が、もし心から面白いと思えるものなら何の問題もありません。

自分の好きなことに熱中し、
毎日が刺激に満ちていて、
時間を忘れるほど夢中になれる。
そんな仕事に出会えているなら、どれだけ拘束時間が長かろうと、それは間違いなく「幸せな人生」と言えます。

なぜなら、仕事そのものが自己表現であり、人生の生きがいそのものになっているからです。

例えば、会社の創業者や社長であればどうでしょう。
自分が立ち上げた事業であり、
自分の決定がダイレクトに結果へ繋がるため、
仕事が生きがいそのものであり、どれほど忙しくても「最高に面白い」と感じているのかもしれません。

しかし、
その会社で働く従業員はどうでしょうか?
経営者と同じような高い熱量とやりがいを持って、毎日目を輝かせながら働いている人がどれだけいるでしょうか。
現実は甘くありません。
多くの人が口に出せないまま、心の中でこう叫んでいるのが本音です。

「つまらねぇ」

社長と従業員の間には、埋めようのない構造的な温度差が存在します。
社長にとっての仕事は「自分の人生を切り拓くゲーム」ですが、
従業員にとっての仕事は「誰かが作ったルールの上でこなす作業」になりがちだからです。

そうです。
大半の人にとって、仕事とは決して情熱を燃やす対象ではなく、
退屈で、
不条理で、
ただただ耐え忍ぶだけの場所になってしまっています。

時間拘束という仕事の事実

ではなぜ、これほどまでに多くの人が「仕事がつまらない」と感じてしまうのでしょうか。
その具体的な理由を8つの視点から整理してみました。

仕事か嫌われる8項目

  • 1.自分の時間を完全にコントロールできないから

    仕事の時間は、他人の指示や会社のルールに従わなければなりません。

    自分が今、何をしたいかに関わらず、決められた席に座り、決められた作業をこなす必要があります。

    ときには道理に反していたり、考えも反対を望むこともあります。

    この「自由がない」という状態そのものが、人間に強いストレスを与えます。

  • 2.努力と報酬が比例しないことが多いから

    どれだけ一生懸命に働いて成果を出したとしても、それが直接自分の収入や評価に結びつくとは限りません。

    会社の都合や人間関係によって、努力が無視されることもあります。

    頑張っても報われない環境では、やる気が消えていくのは当然です。

    どれだけ必死に働いて会社を成長させても、得られるリターンや達成感の大部分は会社や経営者に吸い上げられます。
    「頑張っても頑張らなくても大して変わらない」という現実は、働く意欲を根本から削ぎ落とします。

  • 3.職場の人間関係を選べないから

    仕事をする上で、一緒に働く人を選ぶことは基本的にできません。

    苦手な上司、価値観の合わない同僚、理不尽な顧客など、ストレスの原因となる人たちと毎日顔を合わせなければなりません。

    人間関係の悪化は、仕事の退屈さを苦痛へと変えてしまいます。

    尊敬できない上司からの指示や、理不尽なトラブル対応。
    心がときめくどころか、無駄なストレスと防御反応だけに脳のエネルギーが消費されていきます。

  • 4.毎日の業務が単調な繰り返しのルーティンだから

    多くの仕事は、一度覚えてしまえば同じことの繰り返しになります。

    新しい挑戦や成長を感じられる機会は少なく、毎日同じ作業を淡々とこなすだけの日々は、脳を退屈させ、生きている実感を奪っていきます。

    誰のためになっているのか分からない社内調整、
    形式だけの書類作成、不毛な会議。
    こうした「付加価値を生んでいないと感じる時間」は、感情を冷めさせる最大の原因になります。

  • 5.会社の利益のためだけに動かされていると感じるから

    自分がやっている仕事が、誰の役に立っているのかが見えにくい現代社会では、ただ組織の歯車として消費されている感覚に陥りやすいです。

    自分の人生の大切な時間を、他人の利益のために差し出しているという感覚が、虚しさを生みます。

  • 6. 目的意識の非同期

    社長が描く「会社のビジョンや夢」は、
    必ずしも従業員の個人の幸せと一致しません。

    他人の夢のために自分の貴重な時間を削っているという感覚が、
    強烈な「つまらなさ」を生み出します。

  • 7.「時間の切り売り」という感覚

    自分自身の成長や喜びのためではなく、「生活費を得るために時間を差し出している」という消極的な理由しかなくなると、労働時間はただの「耐える時間」へと変貌します。

  • 8. 主体性の欠如(決定権がない)

    自分の意見やアイデアが反映されず、指示された通りの手順だけを求められる環境では、人は「作業機械」と化してしまいます。自分の意志で動かせないゲームが面白くないのと全く同じです。

仕事がつまらないと感じる理由は、
単に「業務内容が退屈だから」だけではありません。
日々の労働環境の中に、
人間の精神をじわじわと摩耗させる要素が詰まっているからです。

この環境に毎日、
何時間も縛り付けられるのですから、不満が溜まるのは当たり前のことです。

人間だけでなく、社会も現実を直視して、
改善のための思考時間が必要です。

「人生の半分」をつまらない時間に捧げ続ける恐怖

冒頭で確認した通り、私たちは準備や通勤も含めれば、1日の半分以上を「仕事」という枠組みに捧げています。

もしその時間が「つまらねぇ」と感じるもので埋め尽くされているとしたら、
それは「人生の半分をつまらない時間としてドブに捨てている」のと同じことです。

「仕事とは我慢の対価として給料をもらうものだ」と割り切ることも一つの生き方かもしれません。

しかし、自分の命(時間)を削って得ているものが、ただの退屈と疲労だけなのだとしたら...。

私たちはそろそろ、
「なぜ自分はこの仕事をしているのか」という問いに、
本気で向き合わなければならない時期に来ているのかもしれません。

なぜ「仕事やりたくない」と皆思うのか

「長時間つまらねぇ」、
というのが仕事における最大にして最悪の問題です。

短い時間であれば、つまらないことでも我慢できます。

例えば、5分だけ退屈な話を聞くとか、10分だけつまらない作業をするのであれば、大した問題にはなりません。

しかし、それが1日の半分であり、1年の大半であり、人生の数十年間続くとなれば、話は完全に変わってきます。

人生の主役であるはずの自分が、
一番輝いているはずの年齢の、
一番エネルギーがある時間帯を、
すべて「つまらねぇこと」に費やしている。
仕事そのものが忌避されるのも当然です。

このような過酷な現実に直面したとき、人間の思考として、真っ先にどのような結論にたどり着くでしょうか。

「仕事やりたくない」

これになるでしょ。

これは、決して怠け者の甘えでもなければ、根性が足りないわけでもありません。
人間として、極めて正常で、真っ当な脳の防衛反応です。

つまらないもの、辛いもの、自分を不幸にするものから逃げ出したいと思うのは、生き物として当然の欲求です。
熱いフライパンに触れたら、無意識に手を引っ込めるのと同じです。

心が「仕事に行きたくない」「働きたくない」と叫ぶのは、
あなたの脳が「これ以上ここにいたら、人生が壊れてしまうよ」と危険信号を発信している証拠なのです。

それなのに、世間は「働かざる者食うべからず」とか、「みんな辛いけれど我慢している」という言葉で、その正常な感覚を麻痺させようとしてきます。
みんなが我慢しているからといって、つまらないものが面白くなるわけではありません。

  • 「私は我慢しているから、辛いから」
  • 「お前も辛くても我慢しろ」
  • 「社会人はみんなそうやって大人になるんだよ」
  • 「自分の好きなことだけやって生きていけるほど、甘くないよ」
  • 「ここで逃げたら、どこに行っても通用しないよ」

道連れが道連れの連鎖になっているだけです。

この問題から目を背けたまま、ただ盲目的に働き続けることこそが、本当に避けるべき事態ではないでしょうか。

仕事も、その時間も、人間が構成した概念ですよ。

そのくせ、「やりたくない」「つまらない」と言っているのも、人間ですよ。

なんでこんなに破綻してるの?

人間社会を構築するために、社会維持として、ある程度の仕事時間が必要なことは理解できます。

せっかくの長時間、仕事することになるのだから、面白くしましょうよ。

スマホやPC、AIもあるので、
つまらないだけの仕事時間も、きっと改善点があります。

集まっているのは他人同士なのだから、あまり和気藹々とワイワイやるのは、逆に疲れます。
かといってあまりに無干渉にすると、実際の業務にまで支障が出そうです。

それぞれのパーソナリティに踏み込まず、尊重しあえると、良いですね。

仕事においてもゲームのように、
やりがいや達成感、満足感、確かな報酬、それらを感じられる環境であれば、きっと面白くなります。

時間の主権を取り戻し、自分自身の人生を生きるために

自分の時間を保ってから

私たちは、この「仕事がつまらねぇ、やりたくない」という心の声と、
どのように向き合っていけばよいのでしょうか。

解決策は、すぐに仕事を辞めることだけではありません。

大切なのは、仕事に奪われていた「時間の主権」を、少しずつ自分の手に取り戻すという意識を持つことです。

まずは、自分の時間がどれだけ仕事に浸食されているかを自覚することから始めましょう。

先ほど計算したように、実質的な拘束時間をしっかりと把握し、自分のための残り少ない時間を、どれだけ大切に扱えるかです。
疲れてただスマートフォンを眺めるだけの2時間を、なんとか伸ばして気持ち的にもリラックスしたいところです。

また、働き方そのものを見直すアプローチもあります。
収入は減るかもしれませんが、手に入る自由な時間と心の平穏は、お金には変えられない価値があります。

あるいは、仕事の内容を少しでも「つまらなくないもの」に変える努力をすることです。

完全に面白い仕事を見つけるのは難しくても、職種を変えたり、環境を変えたりすることで、日々の苦痛を和らげることは可能です。

人生は、一度きりしかありません。

そして、私たちに与えられた時間は、生まれた瞬間からカウントダウンが始まっています。
その有限で貴重な時間を、ただ「つまらねぇ」と思いながら、会社と仕事のために消費し尽くしてしまうのは、あまりにももったいないです。

「仕事やりたくない」という本音を無視せず、
時間の納得できる使い方を考えていきましょう。

人生の主導権を仕事に置きっぱなしにせず、自分自身の手の中に引き戻すこと。

きっと豊かな人生を歩めることでしょう。

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